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HOT ! 宅配 未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆9B 和書

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宅配 未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆9B 和書の詳細情報

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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。現在の今上天皇と系譜がつながっている。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。従って、応永五年とは、書き始めの年である。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。

 出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
《自筆上部の「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。)

「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。》

《ほゝゑま》・・・・れたま(給)ふ事おほ(多)く、また(又)、あはれに、
心くるしうも、たゝ、このことの御心にかゝるも、
あさ(浅)からぬにこそは。「いつしかも
袖うちかけんをとめこか世をへてなつるいは(岩)のおひさき」
つ(津)のくに(国)まては、舟にて、それよりあなたは、むま(馬)にて、
いそきゆ(行)きつきぬ。そなたにむ(向)きて、
おか(拝)みきこ(聞)えて、ありかた(難)き御心はへを思ふに、
いよいよいたはしう、おそ(恐)ろしきまて思ふ。》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。


《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》

《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》

《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》

《あちら(明石)では明石入道が姫君(明石の姫君)をどんなにか
たいせつにかわいがっているだろうと、その様子を思いやるにつけても、
源氏の君はほほえまれず》・・・・・にはいらっしゃれないことも多く、
同時にまた、しみじみとおいたわしくこの未来の后となる明石の姫君のことばかりが
お心から離れないのも、浅からぬ御情けというものであろう。
(源氏の君)「早くこのわたしの袖で撫(な)でてあげたいものです。
 入道は待ちかねるようにして宣旨の娘の乳母(めのと)を迎え、源氏の君の
ご処置を喜んでこのうえもなく感謝申しあげる。神代文字。》

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。


《Channel Buoys (澪標)》
He smiled to think what this first grandchild would mean
to the old man, how busy and self-important he would be.
No doubt it told of events in a former life
(and the thought brought twinges of
conscience), that she meant so much to Genji himself.
Over and over again he told the nurse that he would not be
quick to forgive lapses and oversights.
"One day this sleeve of mine shall be her shelter
Whose years shall be as the years of the angel's rock."
They hurried to the Harima border by boat
and thence by horse.
The old man was overjoyed and there was no end
to his awed gratitude.
He made obeisance in the direction of the capital.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。附一首:
“朝朝祝福生女,早早相逢入我。
明石道人迎乳母,如至宝。他向着公子所在的京都方面,合掌礼拜。

中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「澪標の巻」原本の末尾(原本番号36-A)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。昭和12年刊。。南画入門書!/[芥子園畫傳・初集&二集・合本二冊]/康煕十有八年/中国字画。C61-060 桜の御所 下の巻 春曜堂版 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。講談社の絵本★「漫画と孝行絵話」昭和13年5月 新開けんの介 石田英助 井上一雄 田川水泡 久米元一 芳賀まさを 講談社。C65-021 智永真草千字文 春潮社。張華撰『正続博物志』(全二十巻揃)天和3年刊 江戸時代和本 東洋医学 本草学 博物学 唐本漢籍和刻本 北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。吉田竹次郎編『日本郵便切手類目録』明治28年刊 明治時代和本 明治4年~20年代の郵便切手集 明治中期の郵便資料。肉蒲団(一名覚後禅)情隠先生編 4冊揃 明治期 道元 禅宗曹洞宗 仏教 検)仏陀 因果応報 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。古文書「瘡毒論病問巻」肉筆 梅毒 江戸後期~明治 医学 感染症 漢方 東洋医学 38丁 (淋病 遊女 和本。柳亭種彦作 歌川国貞画『浅草苅十社縁起』(全五篇十冊揃)慶應3年刊 江戸時代和本 合巻 草双紙 絵草紙 浮世絵 錦絵。1880年 草字彙 乾隆原本 4冊 検索⇒玻璃版 珂羅版 蘇東坡 支那 印譜 法書 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌 王義之 米元章。中国料理技術入門・宴席料理・大衆菜譜・食物史・酒・茶書・中国料理・隨園食箪 8冊セット 柴田書店 料理本。書道 手本「臨鄭文公之碑」墨筆 折帖 全10冊 在銘 各カバー 顕彰文 六朝楷書 (中国 鄭道昭。八文字屋自笑『役者大通鑑 大坂之巻』安永5年 八文字屋八左衛門刊 江戸時代和本 大阪の歌舞伎役者評判記 八文字屋本。★Z53和本江戸天保3年(1832)馬嶋流眼科写本「尾州大智房眼科書」1冊/古書古文書/手書き。平井蒼太(平井通)編『哀歓』(3冊セット=第2冊~第4冊)昭和24-25年 哀歓社刊 江戸川乱歩実弟。御いのち抄 内山興正 仏教 除籍本 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 古書和書古文書写本OE。農具便利論 全3冊 大蔵永常 和本 農業 【A14】。写本 使者談 全八巻合本 寛延8年 福井成 越前藩 使者儀礼書 検)福井県 越前松平家 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。C60-025 日用百科全書 第二編 茶の湯と生花 折れ 破れあり。女人往生勧誘録 2冊揃 五楽隠大玄 明治22 仏教 仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前大正古書和書古文書写本NS2。■『詞之緒』(Kotoba no itoguchi) 田近長陽(陽一郎)著。■神代文字関連資料。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。撮影後、展示のために再表装をしております。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。母は後水尾天皇皇女女二宮。幼名は多治丸。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。C60-026 字を上手に書く法 主婦之友十一月號附 記名塗りつぶし 破れ 折れあり。 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

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「心寧累自息」漢文・白楽天

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仙台藩医・木村寿禎の落款

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原本の断層画像写真

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澪標・俵屋宗達

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澪標・俵屋宗達(拡大)

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澪標・手鏡

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源氏の君の住吉参詣

令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。東洋平和ニ関スル 聖詔集 陸軍大臣 荒木貞夫 陸軍省 昭和8年記(発行年不明) ※ヨゴレ傷みあり。Y3B3-240517 レア[近世名家家集 上巻 続日本歌学全書 第7編 明治31年 佐々木信綱 東京博文館蔵版]水野忠邦。

原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。和本 江戸時代 通俗西遊記 初編 (六冊) 一~六。中嶋流鉄砲秘書 文政元年 写本 江戸時代 砲術 大砲 火縄銃 兵器武具 鉄砲 戦国時代軍事合戦兵法陣形武士火薬 古書和書古文書写本古本OM。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。臼井早苗『詩集 虹の幻想』昭和30年 新小説社刊 直筆献呈署名入(長谷川伸宛)栃木県の詩人。旧約聖書 小預言書講解 2冊揃 堀内文一 日本自由メソジスト教会 キリスト教 新約聖書旧約聖書 検)神学宗教学カトリック プロテスタントOA。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。円光大師・平重衡問答書/「円光大師法義文」「三位中将平重衡卿手書」/明治13年/知恩寺発行/2巻。H/拳闘の知識と見方 昭和拳闘倶楽部編 聖書房 昭和7年初版。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。一草亭詩存 非売品 1939年 検索: 西川一草亭 去風流生活 華道家 生花 九条武子 富長蝶如 茶心茶語 夏目漱石 漢詩 漢文 漢学 漢籍 大谷瑩誠。i10●Nicolas Boileau-Despraux ニコラ・ボアロー=デプレオーに関する古い洋書書籍 3冊 1821年 17世紀フランス文学/フランス語/詩 240314。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。東洋政治思想史 村岡典嗣述 手製ガリ版 昭17 法学 日本思想史 東北大学 検) 日本史尾崎紅葉戦前明治大正古書和書古文書写本古本OD。1464 古い白帖 無地の画帖 帙入り 14面 28ページ 古筆手鑑作成 画帖 簾 和本。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。「延喜式」/神祇巻 巻1~巻10/寛政7年/河内屋太助他発行/全5冊。林鵞峰(林恕) 『職原抄聞書』(全八巻八冊揃)延宝2年 銭屋儀兵衛刊 江戸時代和本 有職故実書 林羅山子息。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。Y3B3-240510 レア[百人一首基箭抄 上中下 3冊セット 享保6年 田原屋平兵衛]小野小町 紀友則 山部赤人。C66-110漁業手形制度早わかり 安藤文一郎 書き込み・全体的に汚れ有り レトロ。また、各巻ごとの書かれた年については不明。☆E0341和本江戸天保13年(1842)伝記「名家略伝」4冊揃い/山崎美成/千賀淵蔵(千賀春城)/古書古文書/木版摺り。C61-062 龍泉式靈息統一法講義授録 靈息統一学會発行 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。太宰治『誰も知らぬ』昭和23年 ロッテ出版社刊 初版本。【B0037P016】肉筆 書簡 日本画 寄書帳? 詳細不明 古書 和本 手紙 直筆帳 桜図 村山半牧 草莽臣 歸山良徹 画集 骨董品 古美術 古物。

 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。陶心雲臨龍藏寺碑 隷書 文明書局 検索⇒玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌。奥村土牛『スケッチ そのをりをり』大正9年 朝陽舎書店刊 彩色木版画56枚 日本画家の素描集・下絵集。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。岸田國士 自筆草稿「「紙風船」について」(真筆保証品)400字詰全2枚完 『演劇新潮』初出の戯曲について 岸田国士。Y3B3-240517 レア[続文章軌範 共六 1~7 まとめて3冊セット 続文章軌範評林注釈 規範]伯夷伝 司馬遷。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。松亭金水作 歌川国麿画『春情心の多気』(全3編揃)江戸後期頃刊 艶本 江戸時代和本(薄葉紙本)絵入本 浮世絵。「美品」 長谷川小信(貞信) 木版 浮世絵 和本 浄瑠璃 佐和里都々一 他  ②E。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。□敦煌吐魯番研究 8冊セット 北京大学出版社,中華書局[管理番号105]。「頭書 西谷名目」/寛文8年版後刷?/銭屋半左衛門発行/4冊。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近江彦根藩領出流原村古文書●明治19年 赤見村地誌編輯材料取調書 63丁 下野国安蘇郡赤見村 現在の栃木県佐野市 240131 148。和本「百家説林」全10冊揃 明治23~25年初版 江戸時代の諸家の随筆/雑考 挿絵 (古文書 資料。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。太閤記肉筆画帖(仮題)上方繪師画(暁鐘成、松川半山、速水春暁齋カ) 末尾に明智光秀の辞世の句と戒名を記す。☆3268和本明治2年(1869)幕末志士作品集「志士小伝/興風後集」合1冊/吉田松陰/高杉晋作ほか/古書古文書/木版摺り。第14帖。C61-068 絵入 人情雑誌 書き込み・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。経文 御文章 和本-写本 文明6-8 文明6-8。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。蔵書票48枚『愛書票暦』(4年間分)1981~84年 クリフトン・カーフ 武井武雄 大本靖 梶山俊夫 宮下登喜雄 馬渕聖 萩原英雄 佐藤米次郎ら。大日本美術図譜 小林榲邨 横井時冬 明治34年 彩色木版図入 全8冊 デザイン 和本 古文書。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。C66-10 9 新式速成 囲碁独習書 破れ・全体的に汚れ有り レトロ。長谷川伸旧蔵書 西坂衷(西坂成庵)編『藩祖盛烈記』明治9年 孝友堂蔵板 前田利家伝 明治時代和本 垂統別史 加賀金沢藩士 石川県郷土史料。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。古文書 和書 「後三年軍記 (乾 坤)」 奥羽軍志 歴史資料 奥州 奥羽 東北(レターパックライト発送)。和本「戯場訓蒙図絵」江戸時代文化期 8巻/3冊揃 式亭三馬/著 勝川春英/歌川豊国/画 喜多川歌麿1枚有 絵本 滑稽本類 中本 保存良好。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。釈雲山著 三上源次郎編『渡支日記』大正12年 苔香会刊 大正時代の中国大陸旅行記 紀行集。羽鳥文作旧蔵書 清水浜臣編『近葉菅根集』(全5冊揃)文化12年刊 森鴎外「羽鳥千尋」のモデルとなった羽鳥千尋の父 江戸時代和本。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。C66-112 北海道水産製造加工品銘鑑 東亜水産新聞社 全体的に汚れ有り レトロ。高達折吉編『新撰活用字典 全』明治27年 翰香堂刊 印記「長野県北佐久郡平原尋常小学校印」明治時代和本(銅版本)漢字辞典。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。帝国絵画番付 印譜 朱印 大正7年 荒木十畝 池上秀畝 池田輝方 上村松園 河合玉堂 鏑木清方 古書 ②E。Y3B3-240510 レア[工業図式 4編 明治16年 幸野梅嶺 幸埜楳嶺]義士復讐 牛若 兎の大手柄。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。C61-075 少年世界 遠足會 記名塗り潰し・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。1929年 柳公権玄秘塔 大楷 文明書局 検索⇒唐本漢籍 法書道 法帖 支那 印譜 金石篆刻 呉昌碩 原拓本 摩崖石刻 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。C61-064 浪六著 常世五人男後篇 蔵書印・書き込み・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。清刊本『唐六如先生画譜』(全三巻一冊揃)唐本 漢籍 中国画論 中国美術 中国絵画 中国古画論。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。和本「正法眼蔵 帰依三宝」曹洞宗宗務局蔵版 明治23年 12丁 仏教 仏書 経本 禅宗 道元 古文書。長谷川伸旧蔵書 『戊辰戦争始末 全』大正6年序 旧長岡藩戊辰戦死者五十年追悼会刊 北越戦争における長岡藩士戦死者名簿 北越戊辰戦争。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。4199 本願寺 教典 5冊 破れ・傷み有り。太田櫛朝筆 小池源次郎彫 福山碧翠撰『坂神聯合第二回燐票大会』大正9年 神戸互楽会刊 彩色木版画譜 神戸放光庵 燐票愛好会 マッチラベル。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。熊本十代藩主が家臣 山崎隼雄に与えた150石の知行宛行状と知行目録の2部。長谷川伸旧蔵書 関義臣編『藤島余芳続編 全』明治37年 松邑三松堂刊 福井県福井市「藤島神社」新田義貞資料 明治時代和本(和装活字本)。》

「額縁入自筆原本」
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。病理學總論3冊揃 木村哲二 年 医学書 外科内科精神科病理学産婦人科生理学看護学医療西洋医学東洋医学漢方 戦前明治大正古書和書古本 OP。Y3B3-240517 レア[唐詩選国字解 南郭先生弁 江戸書肆 嵩山房梓 文化再板 まとめて4冊セット 文化11年]。

自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。蒋介石 書道 対聯 工藝品 中正 検索:満蒙 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国。『満州事変の体験談と教訓及所見』昭和8年 偕行社刊 満洲事変 満洲国資料。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。小原鉄心『鐵心居小稿』弘化4年 有竹詞屋蔵梓 江戸時代和本 漢詩集 美濃大垣藩城代 鉄心居小稿。富田寛編『趣味の万華鏡 第参冊』限定50部 昭和15年 濱松蒐楽会刊(静岡県浜松市)宮尾しげを 大川如水ら 戦前期の刷物趣味誌 商標ラベル他。》


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。C61-076 大岡仁政録 十 十一 全体的に汚れ・レトロ。「教行信証」/愚禿親鸞集/明暦3年/西村九郎右衛門発行/4冊。


《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。講談社の絵本★「漫画と教育講談」昭和13年4月 新開けんの介 石田英助 井上一雄 田川水泡 長谷川町子 講談社。C61-092 太平義臣傳 十三 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。工藝 78号 “文字” 柳宗悦 日本民藝協会 機関誌 1,000部限定/伝統工芸 民芸運動 棟方志功 芹沢銈介 鈴木繁男 王羲之 書聖 蘭亭序 漢書 漆。☆E0329和本江戸宝暦7年(1757)随筆「南嶺遺稿」4冊揃い/多田南嶺/古書古文書/木版摺り。御ふみ(文)にも、「おろかにもてなし
思ふまし」と、かへすかへす、いましめ給へり。C61-094 太平義臣傳 八 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。☆E0345和本明治2年(1869)三業惑乱の大紛争写本「廓亮御問尋記」1冊/仏教/浄土真宗/大瀛/古書古文書/手書き。入道、ま(待)ちとり、よろこ(喜)ひかしこまり
きこ(聞)ゆること(事)、かき(限)りなし。稀少★商周青銅器銘文選 4冊 文物出版社 上海博物館 (管理204961416)。古今美術参考 絵本 図画 画譜 検索⇒ 図鑑 武鑑 名鑑 銘鑑 紋章 図版 服飾 紋様 文様 家紋 武家 公家 王家 武道 図会 傳書 装束 佛像 大名。ちこの、
いとゆゝしきまて、うつくしうおはする・・・・《こと(事)、たくひ(類)なし。和本「一休和尚 佛鬼軍 全」天保5年 十念寺十八世/澤了書之 27丁 絵入 木版摺 地獄絵図 鬼神 菩薩 霊界合戦 異本 (江戸 仏画 古文書。k◇ 江戸期 写本古文書 師鑑抄天理巻第1~10 絵入り本 1冊 写年不明 48丁 和本 墨書き 軍学 兵法 /A07。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。荒木田末偶(菊屋末偶)著 本居宣長序『遷宮物語』(全三巻三冊揃)寛政2年跋刊 本居宣長に学んだ国学者 江戸時代和本。送料込! 希少 太平洋 太平洋社 37冊分 明治34年10月14日~明治35年7月28日 第2巻 41~52号 第3巻 1~30号 抜け有 状態良好 新聞。
女君(明石の君)へのお便りにも、
(源氏の君)「姫君(明石の姫君)をけっしておろそかに扱ったりはせぬように」
と、くれぐれもお戒めになる。佐久間象山『象山先生印譜帖』佐久間象山先生遺墨刊行会刊 橋本関雪題字 印譜集。森本木羊子『仏頭集』(2冊)限定50部 昭和29年 森口太郎 木版画集(紺紙金泥摺)仏教美術 仏像 法隆寺 広隆寺 中宮寺 平等院鳳凰堂 中尊寺。
天女が長い年月その羽衣(はごろも)で撫(な)でる岩のように生い先長い姫君を」
摂津国までは船で、それから先は馬を用いて、急いでかの浦に行き着いた。金寶山 浄智禅寺 関口泰 昭16 臨済宗円覚寺派 鎌倉五山第四位浄智寺 仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞密教禅宗戦前OM。白衣観音大士神呪 唐本漢籍 検索⇒中華民国 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 支那 敦煌 彫版 刻経 佛教 木刻本 筒子頁 経書 写経。
明石の入道は、京の方に向って礼拝して、またとない源氏の君のお志を思うと、
姫君(明石の姫君)がいよいよ大事で、おそろしいもののようにさえ思われる。■『神字五十音』嚢の中身→●神字眞艸五十音圖●字原縱横五十聯音眞艸便覽●經緯畧圖五十音之多てぬき●五十音訂正圖(全揃)。。
未来の后となるこの幼児(おさなご)がじっさいまがまがしいくらいに
かわいらしくていらっしゃることは、・・・・・《たとえようもない。長谷川伸旧蔵書 鈴木啓之(三門博)編 長谷川伸序文『浪曲新作集』昭和24年刊。C61-067 春木版 浮世絵版画集芳 全体的に汚れ・破れ・折れ多数有り レトロ。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。缶盧印存 山紫水明処 須静堂 清間堂 検索⇒印譜 金石篆刻 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 石鼓文 金文 篆印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。川田孝吉編『明治新撰帝国無双玉篇 全』明治28年 上田屋蔵版 印記「長野県北佐久郡平原学校」明治時代和本(銅版本)漢字字典。


《航(澪標)》
同想起了生在偏僻地方的儿,又得很可怜,
因此念念不忘,可知前生宿不浅!在函中,
也再三叮嘱他悉心照料儿。C61-072 書學階梯 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。★0481和本江戸天保3年(1832)馬嶋流眼科写本「明眼伝記」1冊/尾州馬島明眼院/津軽進藤良策/古書古文書/手書き。”
乳母乘出京城之后,改乘船舶,来到津国的波,
再改乘匹,迅速到了明石浦。新古今和歌集 宮本竹逕 昭和61年 書芸公論社 定価10万円 限定版。易経 商務印書館 検索⇒ 漢文 唐本漢籍 古籍善本 支那 道教 道徳経 南華真経 黄庭堅 伏羲氏 周易 八卦 太極 陰陽五行 王重陽 全真教 清静経。承蒙源氏公子美意,
感不尽。画本必用 上下2冊 中路定年 検索⇒ 南画 絵本 唐画 支那 木刻本 木版画 山水画 武者絵 絵師 浮世絵 画工 支那 唐本漢籍 古籍善本 画譜 印譜。1940年 支那 現勢圖 汪精衛政府 地図 検索:満蒙 新京 鄭孝胥 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 蒋介石 張景恵 生写真 古建築 中華民国帝国。
看公子如此儿,便更加可,更加委屈了。1851年 天台四教儀 木版摺 検索⇒金剛経 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 和本 木版画。1845年 医道重宝記 検索⇒ 木刻本 金鑑 漢方薬 傷寒論 金匱要略 奇経八脈 黄帝内経 張仲景 李時珍 本草綱目 経絡経穴 千金方 唐本漢籍 支那。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。■『ウエツフミ(上記) 巻1~巻41・附録』全巻22冊揃。神代文化研究會發行。■安藤一馬編輯。神代文字資料・貴重文献。冬姫は内大臣・通誠の養女。北園克衛『天の手袋』昭和8年 春秋書房刊(初版本) 芸術論集。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。柳屋主人三好米吉/仲古谷津友吉他編 浪速短冊研究会同人跋『賀茂川』限定300部 昭和3年 杉本要他刊 古短冊集 本居宣長 上田秋成 林羅山ら。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。長谷川伸旧蔵書 吉野真保著『嘉永明治年間録』(全十七巻二十冊揃)明治16年 我自刊我書/古書保存書屋/甫喜山景雄刊 明治時代和本。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【B0046P016】希少 古書 村山半山編輯 「 東湖藤田先生遺文 」 明治12年出版御届 藤田東湖 村山恒二郎 小林二郎 古本 書籍 史料 資料 水戸。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。


(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。近世木活続貂 上・下2冊 青裳堂書店古書目録 平成22年。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。石井研堂編『日本漂流譚 第二篇』明治26年 学齢館刊 明治時代和本(和装活字本)彩色木版画入。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。近江彦根藩領出流原村古文書●明治21年 出流原村地誌編輯材料取調書元本 63丁 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240131 150。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。古書 豆本 棟方志功/著 哀しき父と悲しき母の物語 昭和44年 緑の笛豆本の会/発行 3話 絵入 300部の内26番。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」

(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―9B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料

下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する

上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。f24022006〇地租改正事業 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 24冊 全部240丁 新潟県 県令 楠本正隆宛 明治6年 越後国蒲原郡夏井村。襖絵は俵屋宗達




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」



1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。山鹿流兵法書并築城書之一括 山鹿素水自筆本并大垣藩士山本多右衛門自筆本他 寛延期〜明治初期。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。昭和五年陸軍特別大演習・記念写真帖/特別大演習地域略図・空より見た岡山市の中心地・天皇陛下福山市役所へ着御・犬養政友會総裁。

漢詩文原文上部には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。C61-090 太平義臣傳 五 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。紫式部が「澪標」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「澪標の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「澪標の巻」に用いられていることで広く知られている。★0470和本江戸元文2年(1737)神道写本「神宮秘伝問答」1冊/甲斐国山梨郡乙川戸村/日原政峰/古書古文書/手書き。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。利未記講義 BFバックストン 明治37 日本聖公会 キリスト教新約聖書旧約神学宗教学カトリックプロテスタント ルターカルヴァン戦前福音書OD。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。文文山文抄 文天祥 6巻4冊揃 万延元年 南宋 モンゴル軍 漢学漢文漢書 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。格安・稀★酒井勝軍編(吉良義風原著)『上記鈔訳』(全2巻揃)国教宣明団・昭和13年ーウエツフミ・神代文字・ヒヒイロカネ・竹内文献。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。C61-070 神道徳次郎 東京 上田屋発行 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。文化再刻 孟子 道春 点 全7巻4冊揃 古書 和書  ②E  1806年。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。1937年 明治生命 軍用機資金献納報告書 検索: 日中戦争 日支事変 満洲事件 満州帝国 関東軍 新京 奉天 総督府 古文書 国民党 中華民国 支那。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。★0485和本天保3年(1832)「馬島流眼科医学写本」5冊/津軽/進藤良策/尾州馬島明眼院/古書古文書/手書き。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。木刻本 詩経 江戸期 検索:傅奇 古籍 支那 玉扣 善本 線装本 木版刷 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 内府 山房 石印 唐本漢籍 翻刻 彫版 唐土。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。帙入4冊。■附録「田近陽一郎(傳)」付。大正14年刊。。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。宗教伝体法釈義 市川三朗 昭14 御嶽教 教派神道 神社 天皇 宗教学 仏教 OF。平元謹齋『篆書(為:久保田藩士 小野崎先生)』掛軸〔紙本肉筆真作〕/江戸時代後期の儒者 出羽久保田藩士 秋田県 歴史資料 古文書。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。C61-091 太平義臣傳 十 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。安心浄行 空華道人 昭5 経本 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 戦前明治大正古書和書古文書OM。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。☆E0312和本江戸文政5年(1822)和歌「百人一首図絵」2冊揃い/田山敬儀/絵入古書古文書/木版摺り。1880年 張州英画譜 多色木版摺 検索⇒清朝 海派 朱印譜 唐画 南画 山水画 八大山人 書画家 唐本漢籍 金石篆刻 木版画 木刻本 拓本 古墨支那。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。明治期ビンテージ 中央新聞付録 錦城斎 貞玉講演「官員小僧」 壱〜大尾 全14部構成 TTH605。基督教年鑑 昭24 日本基督教団 キリスト新聞社 キリスト教新約聖書神学宗教学 カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン戦前福音書OF。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。長谷川伸旧蔵書『蒙古寇紀 全』限定1000部 昭和6年 元寇弘安役六百五十年記念会(賀茂百樹)刊 肥前松浦家所蔵本複製版。Y3B3-240517 レア[女子新国語読本 巻4 昭和9年 1934年 安藤正次 東條操]菊池寛。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。柳公権玄秘塔 上海求古斎 経折本 検索⇒玻璃版 珂羅版 唐本漢籍 支那 印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌 趙子昴。平井蒼太(平井通)編『哀歓』(2冊セット=第3冊~第4冊)昭和24-25年 哀歓社刊 江戸川乱歩実弟。額縁は新品です。Y3B3-240510 レア[武家必用 甲冑着用早学 軍陳随一之書 上下 まとめて2冊セット 練武館]東照宮御麾之図。野村久太郎著 長田幹彦他文 水島爾保布他画『東都の名妓』大正6年 玄文社刊 大正時代の芸妓写真集 舞妓 芸者。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。加賀藩士【岸井静斎(静斎孝次)筆】『自画寫照之圖・岸井太助・岸井宗之妻』三幅 掛軸〔肉筆真作〕/石川県 金沢 古文書 絵師 画家人物資料。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第4号 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]北条時宗 元使を斬る図。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。石川丈山 (号:六六山人)『漢詩書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/安土桃山~江戸初期の武将 文人 三河国出身 大坂の陣後 牢人 / 古文書 掛け軸。x005 大匠新雛形 上下巻 安藤喜助 盛林堂蔵版 明治■和本 建築 大工 装飾 鳥居 欄干。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。★A40和本明治42年3版大倉書店ちりめん細工古書「裁縫おさいくもの」1冊/共立女子職業学校/伊藤文子ほか。超海『薬師如来瑞応伝』(全五巻五冊揃)享保12年 浅野弥兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。Y3B3-240510 レア[軍用記 バラ まとめて3冊セット 平貞丈]寛政 首桶ニ首入棺 首披露 首獄門ニ懸。Y3B3-240517 レア[新編女子書簡文例 全 明治33年 中邨秋香]花見に誘ふ文。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。梅園春男著 本居豊穎序『形状言五種活用図 全』明治7年 泰民堂刊(栃木県)形容詞論 国文学者 国学者 国語学 明治時代和本。古文書 和書 「衆成笠間誌」 笠間誌 笠間時朝 歴史資料 郷土資料 茨城県 偉人(レターパックライト発送)。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。泰山印選 検索⇒ 金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩。佛説観無量寿経 江戸期 木版刷 検索⇒ 金剛経 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 木刻本 白棉紙 清朝 経書経。実母は近衛家女房(瑤林院)。女学講義  大日本女学講義会 第7回前期第9巻(明治39年11月)、10巻、11巻、12巻、15巻、16巻、19巻、23巻(明治41年9月) 計8冊。C61-093 太平義臣傳 七 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。黙示録の現代研究 千葉勇五郎 昭10 バプテスト派 日本基督教団 キリスト教 新約聖書 神学宗教学カトリックプロテスタント 戦前明治大正OA。J24021705〇闢邪小言 4巻4冊揃 大橋順(訥庵) 安政四年 幕末尊皇論〇和本古書古文書。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。Y3B3-240517 レア[凌滄集 下 大正13年 精研閣]旅順 奉天。岡部嶺男直筆サイン入 北川靖記編『嶺男作品集』昭和46年 嶺男作品集刊行会刊 限定400部。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。古文書時代鑑 上下巻 東京大学史料編纂所 解説本付。C61-071 紋の志をり 全体的に汚れ・折れ多数有り・状態悪い レトロ 貴重。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。『雍府画帖』(全3冊揃)明治30年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 京都名所画譜 竹内栖鳳、菊池芳文、山元春挙、谷口香喬ら。基督教年鑑 昭11 日本基督教連盟 キリスト教新約聖書旧約神学宗教学 検)カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン宣教師戦前福音書OF。


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