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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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オススメ度 4.2点
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したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。本 古書 「毛筆 ペン 常用漢字のくづし方」 昭和11年(1936年) 坂原担山書 洛東書院。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。秋里籬島著 西村中和画『絵本保元平治 保元平治闘図会』(全十巻十冊揃)享和元年 岡田群玉堂刊 江戸時代和本(明治刷)読本。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。Ab-035/食道楽 春の巻 夏の巻 著者/村井寛 昭和3年4月15日発行 腹中の新年 酒の洪水 南京豆 他/L1/61127。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 ビックリ笑世術 イキな楽しさがいっぱい (1966年) (Key books)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 宇和地帯の民俗 (1961年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 アメリカ社会文化史 上巻 (1954年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。三重韻 全 作者版元など不明。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 一般の化学 (1951年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。(古本)津田左右吉全集 全28巻+別巻5巻 全33冊組 津田左右吉 函、月報付き(21巻月報欠) 岩波書店 SV0018 1963発行。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 イタリア人 (1965年)。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。【中古】 空気力学序論 (1959年)。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。【中古】 ロビンと海賊 (1979年)。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。【中古】 金属熱処理技術便覧 (1961年)。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。★0139幕末期ぐらい変わり種古地図「江戸方角図(仮題)」1点/古書古文書/木版摺り。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。x003 家屋建築 坪曲速成図解 上中下 3冊揃 友安藤七 昭和11年■和本 古文書 建築 規矩術 隅木 配付垂木。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。【中古】 鋼の熱処理 基礎と作業標準 (1957年)。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。v◇6 江戸期 商貼外和通韻便宝 1冊 巻菱湖 阿蘭陀人 安政7年序 和本 古書/Q05。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。蘭学Ⅱ!/[大槻玄沢・蘭学階梯・上下二冊完揃]/桂川甫周。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。福音対観 ジェームズ・ストロング 明治20 キリスト教 基督教新約聖書神学宗教学カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン戦前福音書OF。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。【中古】 国際的中立の研究 (1968年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 学区制度の研究 国家権力と村落共同体 (1962年)。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。古文書 和書 豊田天功 「明夷録」 茨城県 水戸藩 幕末 彰考館 歴史資料 (レターパックライト発送)。またきにきこ(聞)えは、またひか心え(得)給ふ
へけれは」と、のたま(宣)ひさして、「人からのおかしかりしも、
所からにや、めつらしうおほえきかし」なと、
かた(語)りきこ(聞)えたま(給)ふ。完品 実物裂400枚入 堀切辰一『襤褸達の遍歴 付こぎれ四百姿』限定90部 江戸時代以降の和更紗・絣・絞・紙布・型染布・芭蕉布など 縞帳。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君、明石の姫君の誕生を紫の上にお話しをする》
《長年の間、たまらなく恋しいと思い思われなさったお心とお心、
あるいは折々のお便りの往来などをお思い出しになると、
女君(紫の上)は、すべてが》・・・・・源氏の君のその当座の慰みに
すぎないのだと、おうらみの思いもおのずと消えるのである。●極上和本YM4754●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板。
心にしみいった夕べの塩焼く煙や、女の詠(よ)んだ歌など、はっきりとではないけれども、
その夜の顔かたちをほのかに見たことや、琴の音のしっとりと優美であったことも、
すべて愛着消しがたいもののように仰せ出されるにつけても、女君(紫の上)は、
自分が都でまたとなく悲しい日々を過していたのに、源氏の君は一時の気まぐれにせよ
他の女(明石の君)にも情けを・・・・・・・・《お分けになっておられたのかと、
穏やかならぬ複雑な気持におなりになられる。かはやし路(河社)。
《Channel Buoys (澪標)》
《She thought of their longing for each other through
the years apart, of letters back and forth,》… and his
delinquencies and her resentment seemed like a silly joke.
"There are very special reasons for it all," he continued,
"that she should be so much on my mind,
and that I should be so diligent in my inquiries.
But I fear that it is too soon to tell you of them.
You would not understand.
I think that the setting may have been partly responsible."
He had told of her of the lines of smoke across
the Akashi sky that last evening, and,
though with some understatement, perhaps,
of the lady's appearance and of her skill on the koto.
And so while she herself had been lost in infinite sadness,
thought Murasaki, he had managed to keep himself entertained.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
但在了,怕又引起会。【中古】 仏教ヨーガ入門 (1973年)。
在那偏僻地方,的人便得了。完品 北原白秋『特製版 海道東征』限定500部(手漉和紙本) 昭和18年 靖文社刊 別冊「海道東征註」(限定500部 木水彌三郎執筆)完備。
紫听了想道:“那候我空房独守,
无限凄凉。【中古】 ヘーゲルの近代国家論 (1978年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 ぼくのテレビジョン あるいはテレビジョン自身のための広告 (1971年)。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。1532【古文書】 小沢蘆庵 書状幅 江戸後期の歌人 尾張犬山藩士。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 島どぅ吾ん宝 (1981年)。筆者は近衛関白政家公。【中古】 ピアノ演奏のテクニック (1974年)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。●限定500部のうち第228号●奥村玉蘭 筑前名所図会 其の一~十巻 全10冊+解説 全11冊 揃い 全巻セット/和装/和本/長崎番船/中国/唐船★379。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―11B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。★【写本/校正經濟録】全十巻/著者/信陽太宰純撰/享保十四年二月八日序/一部虫損書込み 和本唐本古書漢籍書。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 わが心霊の旅路 (1978年)。幼名は多治丸。【中古】 マーケティングに必要な計量技法 (1973年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 百頭女 (1974年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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